本選前日、会場のディファ有明では前日予選がブースタードラフトと構築の二つで開催されていた。

また、偵察も兼ねて権利を持っていたプレイヤー達も集まり、会場はすでに盛り上がりを見せていた。そんな盛り上がりを他所に、会場の片隅で全く違う戦いが行われていた。「関東VS関西 種族レンジャーバトル」と銘打たれた戦い。記憶が正しければ、ターパンを通じて関東と関西のプレイヤーが55で単色の種族デッキを組んで対戦するという、非公式のイベントだった。結果は関西の4勝 関東1勝で関西の勝ちとなったが、途中でイベントスタッフに見つかり、そんな面白そうなイベントをこっそりやるなよ。と半分呆れた声で言われていた。

 

その後はトロール壮に戻る事はなかった、というのもこの時トロール壮は遠征組の宿となっており、関東在住のプレイヤーはそれぞれ各自で行動していた、最後の調整とデッキ選択を行うもの。乱数調整と称して麻雀や別のゲームに勤しむもの、各々が明日に迫った大一番に向けて、各自が緊張をほぐそうとしているのが垣間見えた。

 

 

 

本選当日、ディファ有明のメインホールはプレイヤー達の姿で、埋め尽くされた。この一か月間の成果が試されるとあって、どのプレイヤーの顔にも緊張があった。そしてヘッドジャッジによる合図とともに長い戦いの火ぶたが切って落とされたのだった。


 

本選が始まり、やはり多くのプレイヤーが多色プランを採用していたことが判明した。細かい構成の違いはあるものの、環境で最強デッキの一つという認識を証明したこととなった。ただ相方のデッキはとなると、各自の個性が出る結果となっていた。ロストウィニーを選択したプレイヤーが多かったが、それ以外にも緑単や緑白などのビートダウン系を選択したプレイヤーや、赤単など予想していなかったデッキを操る者もいて、2デッキ制の難しさ、面白さを実感することとなった。


 

ここで筆者が本選中、遭遇した珍事というか悲劇、いや笑い話を一つ。

確か、3回戦か4回戦だったと思う。既に上位戦線からは脱落していたが、少しでもいい賞金を取ろうとしていた時のことだ。

ペアリングが発表され指定された席に着くと、目の前にはよく知った顔が有った。そうトロール壮で一緒に調整をした友人だったのだ。

身内同士で当たるのはよくあることなのだが、問題はデッキでお互いにAデッキが4色プランということだった。しかもほぼ同じ構成で、対多色プランのプレイイングも共有している。唯一の違いはBデッキの選択のみ。合意の引き分けで3点を貰っても上に行けないので、ガチでやることになったのだ。

そして開始から50分後、お互いにプランジャー10枚のみになったデッキで延々とプレイする二人の姿があった。お互いに対策カードを潰し合い結果としてデッキに残ったのは循環するプランジャーのみ、デッキ切れを狙おうにもプランジャーがデッキの枚数を減ること妨げ、スマッシュしたとしても花束を捧げる乙女の効果でスマッシュを割り、またプランジャーがデッキに戻る。この繰り返しを何ターンも繰り返していた。

ついに二人の心が折れ、互いに3点の痛み分けとして対戦を終えたのだった。無駄に疲れた分、最初からドローを選択しておけばよかったと心から思った1戦だった。

 

回が進むにつれ、参加しているプレイヤーの表情はどんどんと変わっていった。笑顔を浮かべる者もいれば、意気消沈しているものや、厳しい表情を浮かべる者と千差万別だった。だがそれはプレイヤーだけではなく、参加しているジャッジ達も同じだった、どちらかといえば辛そうな顔をしているジャッジが多い。

どうしたのだろう? そう思い顔見知りのジャッジに聞いてみるとぽつりと一言

「踏み台昇降運動がつらい」

何のことかと思ったが、会場の配置を見て納得した。上位卓がある場所が階段のようになっており、巡回する為には何度も上り下りを繰り返す必要があったのだった。その地味にきつい移動を踏み台昇降運動と表現していたのだった。

 

 

 

朝から始まった本選が終わりを告げたのは、既に陽が落ちた頃だった。どの顔にも疲労と大会が終わる寂しさが同居していた。

ベスト8に残ったプレイヤーは1週間後、場所を移して行われる決勝トーナメントに進出することになった。

多くのプレイヤーが出入りしたトロール壮からは、一人のプレイヤーがトーナメントに進出を決めた。このことにターパンも満足そうで、部屋を借りた甲斐があったと。後日語っていた。


これで、トーナメントに残った8人以外は2カ月の長きに渡った日本選手権2006シーズンが終わった。初の選手権ということもあり、大きな盛り上がりを見せたシーズンで、プレイヤーやジャッジ、そしてスタッフ達も記憶に残る大きな大会になったと思っている。
 

その後、行われた決勝トーナメントはネットで中継された。同時に発売されたセカンドセンチュリー第一弾と重なり、皆パックを剥く作業をしながら、新カードを試しながら、戦いを見守った。そして最後に優勝者が決まった時は大きな拍手が起こった。


それは勝者を讃え、セカンドセンチュリーの戦いの幕を上げる合図だったのかもしれない。

 

 

 

最後に、10年以上前のTCGの回顧録を読んで貰ったことに感謝致します。また別のグランプリや日本選手権の回顧録を書くことがあるかもしれませんので、その時はまた宜しくお願い致します。